フェミニストの結婚準備録

ゆとり世代のフェミニストが結婚するまでと結婚してからの記録です

とどのつまり、”と”の住まい

どうしたら、大好きな相手“と”生きていると言えるのだろう。
毎日、この世の何人にも平等に流れていく時の中で、
同じものを見て、同じ釜のご飯を食べ、同じ空気を吸うことが
だれか“と”生きることなのだろうか。


2017年の晩秋、私と夫は
800km離れた2つの都市でふたりの人生を始めた。


今の会社で今の仕事を続けるとしたら、
私と彼が同じ屋根の下に住まうことは永遠にない。
お付き合いを始める前からわかっていたことだった。


夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならないと
この国の民法には書いてあるけれど、
夫婦双方が合意の上なら問題ない、なんて意外にも実態はやわらかいもの。
咎められないのをいいことに、いつかくる「決断の時」を先送りにしてとりあえず籍をいれてしまった、といえば正しいかもしれない。


「結婚」という制度にこだわらなくてもいい。
今の会社にこだわらなくたっていい。
物心ついた頃からそう思っていたし、今でも思っている。
仕事は私の人生の中で1番ではないはずなのに、
大好きな人こそ1番であるべきはずなのに、
まるで仕事こそ生きがいであるかのように、私は退職も転職もせず、夫と別居している。


もやもやしたものをそのまま棚に上げて、とりあえず、走り出してしまった。


新婚なのに別居じゃ独身時代と何も変わらないでしょう、なんて言われるけれど
これが大きくちがうんだから自分でも驚いている。


「最期までこの人と支え合って生きる」と誓えたことの心強さは凄まじい。
この人が私の1番だと言っても誰も批判しないし、
この人がいてくれると思うからこそ、本当のさみしさと本当の安心が感じられる気がする。


自分の中だけで誓っていればそれでもいいのかもしれないけど、
人の心はやっぱり弱いから、宣言することで思いを強めることができる。
言葉を、社会を、自分のために使うのだ。


「結婚」のかたちへのこだわりを捨てたら、「結婚」以外の選択肢だってずっと輝く。
「結婚」が内側からどんどん広がって「わたし」と「あなた」の関係に落ち着いたらいい。

いつかは一緒に、なんて悠長なかたちでもいい。
「だれと生きる」と決めた日から、もうその「だれか」との人生は始まっている。

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She is #だれと生きる? VOICE公募 より

sheishere.jp